※今回は、息子への語りロ調となってます。
お父さん(ひげおやじ)が丁度今のお前(息子)と同じ、小学6年の頃の話しをしよう。
1973-74年、昭和48-49年
テレビでは、アイドル全盛で天地真理やアグネス・チャン、それにフィンガー5がリンリンうるさかった、言うても解らんやろけどね。
それと、NHKで「新八犬伝」いう人形劇が放送されとって、男同士の間では「いざとなったら
当時は飾磨区下野田のアパートに住んでて、母親(○ばあちやん)と弟(△のおっちゃん)と3人暮らし、高浜小学校に通ってた。
5年生の春に転校してきたわりには、前の学校の時からドッヂボールが大好きで「横目の大将」とか言われとったんやけど、変わってきてからもその技を披露したら、その呼び名で呼んでくれたりで、直ぐに友達もいっぱいできて、勿論、好きな女の子も何人かできて……、
そのうちの一人、Kさんには、今もPTAコーラスの発表会や、お前のサッカ一の試合で出くわしたりして、二言三言近況報告をしたりしてるけどな。
これ、お母さんには一応内諸で…。
勉強はあまりしてた記憶はなくて、それでも何故か学級委員長とかには選ばれてて、まあ、今思えばその頃からやりたがりやったんかな、みんなもアイツにやらせとけば何となくおもしろそうやで…みたいなノリやったやろし、それで放課後の校庭や、今でも多分そうやと思うけど、迷路のような下野田界隈の路地を走り回り、
ドロケイ(泥棒と警察に分かれての鬼ごっこ)、
缶蹴り(これは解るよな)、
それに「ジャン蹴り」言うて、「ジャミ」と呼ばれるお手玉のようなものを足で蹴って、その回数の多さや技を競う遊びが流行ってた。
「ジャミ」は市販のものもあったと思うけど、みんな母親に作ってもらったり、家庭料の裁縫セット(あったのよ、そういうのが)を使って、器用な奴は自分で上手に使ったり。
お前がインサイドのリフティングが得意なのは、きっと遺伝やと思う。(自慢)
サッカークラブなんかは聞いたこともなかったけど、少年軟式野球のチームは校区にあって、今やから言えるけどホンマは入りたくて仕方なかった。
もっと小さい時に父親(お前のおじいちゃん)にスゴイしごかれとったから、入れたらチームの奴らに負ける気はせんかった。でも母親には言えんかった。
それから、今と違って児童会いうのがあって、どういう経緯か忘れたけど、6年後期の児童長いうのになって、さっき話したKさんが副児童長で助けてくれて、ちょっと幸せやったかな。ルンルンちゅうやっちゃね。
毎回、朝令の司会も2人に任されて、すごいやろ、大したもんじゃろがえ!?
一年中体操ズボンの短パンで過ごしてたなあ。
あ、そうそう、修学旅行はお前らと一緒の奈良、伊勢コース。
どんな名所旧跡を回ったかより、車中や旅館でみんなとワイワイ騒いで楽しかったことを思えてる。
卒業と同時に網干のおばあちゃんの家に引っ越すことになっとったんで、式が終わったその足で、飾磨から山電に乗った時は、「もうみんなとは会えへんのかなあ〜。」とちょっと寂しかった。
けど
小学校は、4回も転校したから慣れとったし、それに4つの学校に友達できたから、高校でもまた誰かにきっと会えるやろし、大人になったら凄い人脈できとるやろなあ、と変に前向きやったことをよく覚えてる。
お前やったら泣いとるやろな?
これが小学6年の頃の思い出や。
また、聞きたいことがあったらいつでも教えちゃる。
以上





